マルチポテンシャライトの伊藤知子です。

主に、器用貧乏で飽き性、突出した専門性がないとお悩みの方専門のビジネスプロデューサー、そして、際立つ個性で突き抜けて生きる、愛すべき変人さんインタビュアーという活動をしています。私自身、同時に5つの事業運営をしていますが、全部一気にお伝えすると、混乱を招くと思いますので、少しずつお伝えしていければ!

このブログでは、伊藤知子の「私開放」ストーリーを1年ずつ遡って書いています。「私開放」とは、自分の個性を思いっきり表現して、自分全開で生きること。先ほど、5つの事業を運営しているとお伝えしましたが、全ての事業は、「私開放」して生きる人が一人でも増えたらなという想いの元、活動しています。

2019年は、私にとって大きな転機の1年だったため、2019年の「私開放」ストーリーは、4回にわたってお届けします。

なぜ、2019年が私にとって転機の1年となったのか?

最初のキッカケは、知人で憧れの存在であった、こんまり流お片付けコンサルタントとして活動されていた安藤恵子さんにSOSを出したことでした。2018年5月に個人事業主になり、3ヶ月程で、燃え尽き症候群に。

その状況から、「何とか抜け出したい。でも、一人では立ち上がれないかも…」と思い、駄目元で、「本棚の片付けを始めたけれど、全然進まなくて…」と恵子さんに連絡。

「片付けをすると何故か人生が皆さん好転するのよね」という恵子さんの言葉通り、2019年は、その後、沢山のチャンスや心に残る出来事がありました。

まずは、vol.1 「片付け後に出会うも、年末に卒業を決めた、デンマークの旅行会社との新しい仕事」について、今日はお伝えします。

そして、vol.2 「5年越し位に叶えた、気になる街ポートランドとの出会い」

vol.3 「海外との交流が好き♡という純粋な気持ちを思い出させてくれた、シンガポールでの国際会議参加」

Vol.4「絶対にリバウンドさせないから」信頼できる人からの言葉を頼りにひたすら片付けと向き合った2ヶ月 というテーマで書いていく予定。タイトルは多少変わるかも🙏

vol.1 「片付け後に出会うも、年末に卒業を決めた、デンマークの旅行会社との新しい仕事」実は、片付けに取り組んで1ヶ月半位経った、2019年3月末。北欧の教育ワークショップを一緒に企画・運営していた仲間と、偶然3人で再会しようという話に。

半年ぶり位の再会だったのですが、近況報告をするうちに、

お一人から、「今仕事はどうしているんですか?」と聞かれ、

これから転職活動をしようか、このまま個人事業主として何か自分で仕事を創っていくのか、悩んでいる。「実は、ご一緒したイベントを機に疲弊してしまって、休んでました。」という話をした所、

「自分が今やっている仕事を産休で誰かに引き継がないとと思ってて、知子さん適任かも!?」と思ったんですが、興味ありますか?との話を頂いたのだ。

話を聞いた時、直感的に面白そう!と思ったものの、まだ仕事の全体像が朧げにしか見えなかったので、日を改めて、話を聞くことにした。

と言うのも、2018年年末に、唐突にリクルーティング会社から連絡があり、一瞬、「まだ会社員に戻れるうちに戻った方が良いのかな?」と心に迷いが生じ、転職エージェントと連絡をとりながら、転職活動もしていた。

「正社員の方が総合的に見て条件が良かったら、会社員に一度戻ろうかな・・・?」と心が揺らいでいた。

最初にリクルーティング会社から紹介されたドイツのロボット会社は、内定を貰ったものの、会社のオフィスの雰囲気や社長との相性が面接の時の印象ではあまり好印象でなく、社長の秘書業務も兼ねたマーケティング職での募集だったため、見送った。当時選考に乗っていた中で第一志望だった、人材育成会社には最終面接一歩前で不採用を貰い、「さぁ〜、どうしたもんかな…」と悩んでいた。

結果的には、知人から紹介して貰った、デンマークの旅行会社に決めた。週3日勤務、1日5時間程度、かつリモートワーク可能だったし、事業の内容も冒険旅行(北極、南極、グリーンランドでのクルーズ、アフリカのサファリツアー、万里の長城など一風変わった観光地でのウルトラマラソンの運営など)で面白そう、それでいて新入社員位のお給料は頂けるとのことで、「良いかも💡」と思ったのだ。

東南アジア・日本市場を総括している直属の上司が、とにかくエネルギッシュでアイディアーマンだったこともあり、「何か面白そうなことできるかも!?」と野生の勘でGO!と言われている気がした。(笑)

仕事を通して、普段ならあまり接点がない、野生生物専門の写真家さんや、ネイチャーガイドの方、地球の歩き方の編集者、大使館関係者など、と出会えたり、刺激的なイベントに同行する、もう少し経験を積めば、実際のクルーズツアーにスタッフとして乗船できる、との話も頂き、仕事内容には80%程度満足していた。また、日々はそれなりに充実していた。

ただ、直属の上司の方が、気分のアップダウンが激しく、「自分のミスでもないのに、勘違いして八つ当たりされる」と言ったことも日常茶飯事で、上司と2人で全ての仕事を回していたため、上司の気持ちの上がり・下がりを一人で受け止める、ということが結構しんどくなってきた。

また、マーケティングの仕事に加え、ほぼマニュアル化されていない、旅行の予約業務や、上司の手からこぼれ落ちる業務を、前任者からの口頭での1回の引き継ぎと、上司の話を擦り合わせながら、ジグゾーパズルのように1ピースずつはめ合わせて、仕事の全体像を把握すると言うのは、結構脳も消耗された。何せ、私は、ルーティーンワークが苦手だった。

加えて、何度言っても同じミスを繰り返す、デンマーク側の担当スタッフに対して怒る上司の八つ当たりの的になってしまったりして、「上司の機嫌が良い時は仕事も平和だが、機嫌を損ねていると何ともしんどいなぁ…」という状況が仕事を始めて3ヶ月くらいで明らかになってしまったのだ。

それでも、「クルーズに乗船したら、できる業務の範囲も、自分の心の持ちようも変わるのかな?」とも考えた。ただ、いつクルーズにスタッフとして乗船させて貰えるのかも、保証はない。

当時、2019年7月からライフコーチに伴走して貰って、コーチングを受けていた。

理想の未来をコーチと一緒に描いていたのだが、いつからか、”週3日の仕事に、エネルギーを奪われ、エネルギー漏れ”が起きているのではないか?ということが気になり始めた。

また、自分ではコントロールできない上司の機嫌に自分の人生を振り回されているようで、これは、本当に自分の人生の舵を自分で取れていると言えるのか、ということも気になっていた。

当時の私にとって、「自分の人生の舵取りは自分でする」というのは、自分との譲れない約束だった。”自分の人生の舵取りを自分でする”と言うのは、2011年の経験がキッカケで、2012年以来ずっと自分の中にある自分との約束だ。

上司の機嫌は、私のコントロール下にはないが、上司の機嫌に私の人生が左右されたままで良いかどうかは自分で選べる、と思った。

「やっぱり、自分の人生は自分で決めたい!」と思った時に、自然と、次が明確に決まっている訳ではないけれど、「辞めよう」と、コーチとのセッションの後押しもあり、心が決まった。

「せっかく知人が紹介してくれたのに、半年で辞めてしまうなんて申し訳ない…」と言う点が最後まで心残りだったけれど、12月の頭の金曜日に、上司には「年内で辞めたい。理由は、自分でやりたい事業が出て来たから。」とまずはメールで就業時間が終わるギリギリのタイミングで伝えた。

メールをした後間も無く、就業時間後に、上司から携帯に電話がかかってきたけれど、今出ると説得されそうで、自分の心が揺らぎそうで、電話を取るのをやめた。

都合が良すぎると思われるかもしれないが、私としては、「癇癪をぶつけられことなく、円満に退職したかった。」なぜなら、上司の怒った時のエネルギーを間近で見て来たから、それが自分に降りかかって来ると思うと、怖くて堪らなかったのだ。

ただ、嘘をつくことも性格上難しく、不誠実な態度を取るのも、その場しのぎは出来ても、後々自分の良心の呵責にも耐えられなそう…と想像するだけで、ギュッと胸が締め付けられる想いだ。

2019年6月、9月と短期間で2度も訪問した、アメリカのオレゴン州にある、ポートランドという街で、今度は自分が、スタディーツアーを開催したいと考え始めていた。

だから、「やりたい事業がある」は、当時の私にとって、全くの嘘ではない、考え得る最もポジティブな理由ではあったのだ。

実際に後任を探す必要があること、アフリカから支社の社長が来日することが決まっていること、という理由から、アフリカ支社の社長の来日までは、私も新人の人と一緒にやる、ということで着地した。

話がまとまったのは、確か年明けだったが、とりあえず自分の意思を穏便に伝えられてホッとした。

次回は、vol.2 「5年越し位に叶えた、気になる街ポートランドとの出会い」をお届けします!