底なし沼の始まり

2022年5月末〜10月末までは、「私」にとって、底なし沼かと思う暗闇の中に居る時間だった。今思えば、「小さな私」が、「いつまで同じこと、繰り返すつもりなのよ?」、「良い加減学べよ!!」と半分キレながら訴えていたのだと思う。

2021年11月頃から、メインの事業を、個人事業主の方向け講座の企画・運営コンサルティングから、マルチポテンシャライトの「私開放」、複業・起業を軌道に乗せる伴走に切り替えることを決定。

ただ、当時、まだマルチポテンシャライトという考え方は依然として認知が広がっておらず、新しいマーケットを創る所から、始めなければならない状況だった。「茨の道かもしれない…」と薄々気付きつつも、なぜか当時の「私」は異様な使命感に燃えており、「私がやらないと、誰がやるんだ」位の気持ちを持って取り組んでいた。その成果もあって、ポツリポツリとマルチポテンシャライトの資質を持ったお客さまと繋がりが生まれたり、ワークショップに参加して貰えるようにはなっていた。嬉しい限りではあるのだが、マルチポテンシャライト向けのワークショップを開催すると、”自分と同じように、マルチポテンシャライトという資質を持った方と話すだけで、自己肯定感爆上がり🧨”というような効果を感じられる方が、数人いらしゃった。「私」は、その様子を目の当たりにすると、「開催して良かったな〜😌」という気持ちが半分、「これは、一時的な自己肯定感ハイなのではないか!?根本的な解決になったのかな・・・」と困惑・混乱する自分も半分居て、複雑な気持ちを抱えていた。自分自身も、マルチポテンシャライトという考え方と2021年4月に再会した時、原因不明の病気に診断がついたような気持ちになって、「あぁ〜やっと、「私」が10年以上抱えてきた生きづらさの最後のピースが見つかった😩」と安堵したのも覚えている。だから、自己肯定が、爆上がりする方の気持ちが理解できる部分もある。

一方で、「自分は、マルチポテンシャライトなんだ。」と受け入れた所から、ようやくスタートラインに立ったというのが「私」の場合で、マルチポテンシャライトという考え方に出逢えた=即、全てが解決!とは、全く思えなかった。

自己肯定感が爆上がりするお客さまの様子を見て、「あれ!?私のサービスって見当違い?求められてないの!?ビジネスにならないのかな…」と焦ったし、大いに戸惑った。新しい市場を創る所から始めるビジネスの立ち上げは、始めた時に「私」が想像していたより、遥かに大変だった(汗)自分の読みの甘さを痛感した。同時に、「ビジネスにならなかったとしても、私はこれを続けるだろうか?続ける理由は?」という問いと向き合うことになった。

そして、こんな時に限って、私は、自分で一所懸命築いてきたはずの、「伊藤知子=マルチポテンシャライト」というイメージ、枠組みに自分で飽きるという、飽き性の発生に追い討ちにあう。

気が付いたら、燃え尽き症候群・・・

上記のような事情を抱えながらも、「止まる」決断もできず、転がって勢いのついた岩のように、マルチポテンシャライトの方に向けた長期講座のリリースに向けて、猪突猛進した🐗振り返ると、当時の計画がいかに無謀だったか、明らかなのだが、「マルチポテンシャライトとして、ちゃんと言動一致していないと!!」という妙で勝手なプレッシャーに駆られ、才能開花度別に応じて、3つのコースを同時リリースするという無茶な挑戦に挑んでいたのだ。「ここが、マルチポテンシャライトとしての踏ん張り時。長期講座をリリースし、お申込頂けたら、少しは楽になるだろう・・・✨」という一縷の望みを抱いて、自分を追い込んだ。5月末リリースを予定しており、何とかご案内ページも完成して、あとはプロモーションをするのみという所まで来て、全く気持ちが乗らなくなってしまった。最初は、これが燃え尽き症候群の始まりだとは全然想像もしていなくて、「少し休めば、プロモーションできるのではないか?」位の気持ちで、ひたすら休むことを優先した。でも、2週間くらい休んでも、全く気持ちが上がる兆しはなかった。とにかく、「自分の心が喜ぶことを最優先でやらせてあげる」ことに専念して、好奇心と気力の回復を待つことに専念。

待てど待てども、気力は戻らず、世界への興味も戻らず、カラフルだったはずの「私」の世界は、一気に白黒で味気ないものになった。

自分の調子が悪いと、ごく一部の近しい人を除き、「私」は人に会うことができなくなる。心を許していた石鹸教室の先生の講座に6月は何とか行けたものの、7月からは石鹸教室に足を運ぶのもままならなくなってしまった。その時初めて私は、「あぁ〜やってしまった。これは、燃え尽き症候群だ」と自分の状況を理解したのだ。見かねた夫が、何とか休みを取って、気晴らしにと旅行に連れて行ってくれたのだが、旅行中は、一瞬気持ちが晴れる時があっても、自宅に帰ると途端に、気力が無くなる。そして、「ここではないどこかへ行きたい…」と現実逃避する日々が続く。私は、過去にも何度か「燃え尽き症候群」になったことがあるが、ここまで来てしまうと、時の解決を待つしか打手がない。

前回燃え尽き症候群になった時は、とことん落ちる気持ちを味わった上で、知人のお片付けコンサルタントの方にSOSを出し、「人生の片付け祭り」に取り組むことで、浮上のキッカケを貰った。今回は、毎日Netflixで好きな韓国ドラマを見たり、ひたすら寝るなどして、気持ちの底に付くのを待った。お世話になった方が、「友人として、話を聞くよ。」など温かい言葉や心配して連絡下さったのだが、どうにも渦中に居る時はSOSの出し方が分からなくて、「有難いなぁ〜😭」と思いながらも、罪悪感もあって、その好意に甘えることが出来なかった。

回復の兆し

何か特別なキッカケがあった訳ではないが、10月末頃、わずかに気力が戻り始めた。「このチャンスを逃してはいけない!!」と、”とにかく気持ちをこれ以上落とさないこと”を目標に、出来ることから1つずつ行動を重ねた。勤務する英語塾の洋書テキストにも、随分と当時支えられた。あとは、運動をしようと思い立って、夫の勧めもあり、近所のボクササイズジムの体験に行き、入会したりなど、地味なことだ。

「もう、大丈夫。こんなに落ちることは無いと思いますよ。」という言葉。マルチポテンシャライト向け長期講座をリリースするに当たって、伴走して頂いた、共感編集者の村山ともみさんがかけて下さった言葉だ。お世話になった、ともみさんには状況をご報告したいなと思って、ご連絡し、お忙しい中、サポート期間が終わっているにも関わらず、話を聴いて下さった上でかけてくれた言葉。ともみさんに言って貰うと、何とも表現し難い安心感と抱擁力がある。ともみさんに話を聴いて貰う過程で、当時、小さな知子が、全力で、「知子、あなたが行きたいのは、目指しているのは、それじゃないでしょ!?違和感自分でもあるでしょ?止まれー💨」と警告を出してくれていたのに、「私」が無視して強行突破し続けた結果、燃え尽き症候群という形で強制終了したのだ、と自分に起こったことを冷静に振り返ることができた。

暗黒の燃え尽き症候群から学んだこと

燃え尽き症候群を脱して、1年強経った今だから分かること。燃え尽きる前の「私」は、「仕事の出来ない自分には価値がない」という会社員時代に握りしめていた思い込みの亡霊にとり憑かれていたのだと思う。継続講座にお申込を頂くことで、「仕事の出来ない自分には価値がない。」という思い込みに対して、「私は、仕事ができない訳ではない。」ということを証明したくて、一心不乱に走っていたのだ。

燃え尽き症候群になって、腹の底から納得できたことは、勿論、「起業で成功したい」という気持ちもある。

だけれども、それ以上に「私」にとって大事なことは、自分の好奇心に素直に、毎日ワクワクした気持ちで、自分の興味・関心を探究できていること。好奇心が溢れるカラフルな世界で、愉しく自分実験ができているということなのだ、という自分が人生において譲れないコトを思い出すために必要な経験と時間だったのかもしれない。

このような痛い目に遭わなくても気が付くことができるに越したことはないが、ここまで痛手を追うと、「もう絶対忘れないし、明るく受け容れることにしたよ。」と自分に言葉がかけられる。たとえ、マルチポテンシャライトの資質を活かした起業という道が志半ばで終わったとしても、後悔はない。

それに、「私」は、マルチポテンシャライトの資質を活かした起業スタイルを追究することは諦めないし、思う結果が出ないからといって、がむしゃらに燃え尽き症候群になるまで自分を追い込むことはもうしない!これだけは、自分自身との新しい約束として、絶対に守る。

強烈な経験からの学びのお陰で、2022年と2023年の「私」には決定的な違いがある。それは、倒れる前に、「休むことを自分に許可する」ことが出来るようになったこと。

次回は、2021年の「私開放」Storyをお届けしますので、お楽しみに〜😉

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