「住む家をあと2ヶ月以内に見つけなければ・・・!」という焦りにさいなまれながら迎えた2023年の年明け。ドギマギしながら参加した、非常勤講師を務める英語塾での「年始の目標設定」ワークショップ🖋細かいワークショップの流れや内容はよく覚えていないのだけれど、その日、”Adventure”というキーワードが頭から離れなかったことだけは鮮明に記憶している。
「私は、2023年自分の想像もつかないような冒険がしたい!!」と、そう心に強く刻まれた、ワークショップの日。「見通しが立たない不安」と半年以上隣り合わせに居ながら、”Adventure”という言葉だけを羅針盤にもがき続けた1年が、「私」の2023年!
2023年2月末をもって、夫が、会社を退職することは決まっていた。同時に、会社からの家賃補助を受けていた当時のマンションからの引越しが発生することが判明。
「補助を受けていた分を払えば、ここに住み続けられるんだよね!?」と安易に考えていた「私」。2022年の年末に、「退職すると、審査を通し直さないと今の家には住み続けられない…」ということが発覚!当然、突然の引っ越しは想定外だ。
あまりのショックに、「退職したらさ、1ヶ月位有給の間に屋久島でワーケーションしながら、今後について考えるのもアリかな〜?」なんて、空元気で夫に冗談ぽく言ってしまった。まさか、自分のこの一言が、「今なら屋久島に住めるかもしれない!?」とノープランな夫の屋久島生活に火を点けることになるとは全く想像もせずに・・・。私達夫婦は、屋久島が好きで、引っ越す前も4〜5回既に旅行で屋久島を訪問済みだった。コロナ禍で、移動できないことに息苦しさを感じていた「私」は2〜3ヶ月に1回の頻度で、どうしようもなく自然を求める衝動のようなものに襲われていた。だからだろうか、「ここに居なくても良いんだ。」と思ったら、ふと屋久島のことが頭をよぎった。
1ヶ月もAirBnBに宿泊するのも高いし、「宿はどうするのかな〜?」と軽い気持ちで調べ始めたら、移住を検討中の人向けに屋久島町が提供している「暮らし体験住宅」の申込は2,3日前に締め切られていた😱
2022年2月に、実は屋久島の空き家バンクに登録されていた家を内見に行ったことがあり、今回もダメもとで空き家バンクを見た所、何と奇跡的に、屋久島にしては条件の良い空き家が1軒だけ登録されていた😲
自分たちでも、「正気だろうか?」と半信半疑ながらも、空き家を内見させて貰うための手続きを早急に進めた。当時、オンラインで仕事が基本的に完結する「私」にとって、夫の通勤さえなければ、どこに住んでも構わなかった。夫が会社を退職することになり、当時住んでいた関東圏に居る必然性がなくなったのだ。
夫の給料分収入が減るため、「少しでも生活費を下げたい」、というのも本音の所あった。諸々役所との調整を経て、屋久島の家の内見に行ったのが、1月下旬。内見させて頂いたお家は、綺麗に手入れはされていて、家具は最小限な感じ。正直、今人が住んでいないので、生活した時の様子を100%イメージすることは難しかった。でも、以前内見した家と比較してみて、「ここなら住めるかも・・・!?」と直感的に思った。まだ内見しただけでは心は決め切れなかったものの、60%位は、「ここに住むのかなぁ〜」🤔とどこか他人事のように感じながらもぼんやり思ったことは覚えている。夫が仕事を退職した理由は、”「今の仕事が嫌だ」という気持ちが臨界点に達し、「海外に挑戦したい!留学してみたい!」という学生時代にやり残したことにいよいよ挑戦するか✊という心のスイッチに突如火が点いたことが大きい”と、少なくとも「私」は見ている。
10年以上も前から、「海外で暮らしたい✨、もう一回学生時代に行ったカリフォルニアで住みたいな」と思い、自分が駐在する、海外の大学院へ留学する、夫に駐在希望を出して貰うなど様々な手立てを考え行動してもぴくりとも叶わなかったのに、夫がアメリカの大学院に出願→退職までは話を始めてから、モノの2ヶ月でアレよあれよと物事が進んでいった。
やっぱり何事も機が熟すタイミングがあるのだ。
関東で他に家探しをする気力も、モチベーションもわかず、その結果、屋久島への引越しが最有力な選択肢となった。とは言え、夏頃から順調に行けば、夫の大学院留学で海外転居予定だったので、短期間で本当に引っ越すのか、直前まで決めたようで心は決まらなかった。屋久島は車がないと生活が不便だが、「数ヶ月のために中古車を買うのもな・・・車どうしよう?」と言うのも屋久島への引っ越しを決め切れない大きな理由の1つだった。「数ヶ月だけのために、家を借して貰えるのか?」、「数ヶ月で退去してしまうことで地元にご迷惑にならないか」など懸念事項は挙げればキリがない。それらの懸念事項を1つ1つ解消して、3月頭に屋久島に引っ越した。退職後1ヶ月は退去までの猶予があったが、その期限は3月末だったため、あまり時間の余裕はなかった。中でも1番気が重かったのは、両親たちへの説明だ。退職して留学することはまだしも、屋久島に数ヶ月引っ越すということを告げるのは容易ではない。何とか報告はしたものの、全くと言っていいほど、親の理解は得られなかった。今振り返ると、自分たちでも未知が多過ぎてよく分かっていないのだから、親が理解不能なのは、当然と言えば当然だ。「引っ越します、よろしくお願いします!」と大家さんにお伝えし、契約を交わしたものの、「本当にこれで良かったのだろうか・・・?」と心から迷いが消えない日々が続き、引っ越しの荷造りをしようにも、どこか心に重いおもりがのしかかっているようで、あまり進まない日々。
それだから、当時の家を退去する日もなかなか決められない。1つ分かっていたのは、「3月末の引っ越しラッシュに入る前に引っ越さなければ💦」ということ。当時は、「どうして屋久島に引っ越すことにしてしまったのか。」、「このタイミングで会社を辞めたのは間違いだったんじゃないか?」など、先行きの不透明さから、夫と随分不毛な言い合いを繰り返した。
私としては、夫のことだから、屋久島に行くのも、「何かやりたいことを小さく実験する」など、何か考えや理由はそれなりにあると思っていたのだ。夫を信頼していたが故に、「何もないけど、今なら住めるな〜と思って」と、何の考え無しに引っ越しを提案してきたと知り、裏切られたような気持ちになった。
「どこで、いつから、この人とこんなにもボタンの掛け違いが生まれていたのだろう・・・」と、淋しくて、不安で、「お先真っ暗で路頭に迷ったらどうしよう・・・」と、自分のことも随分と責めた。引っ越しの日程を決めたのは、引っ越し日の1週間前位だった。
今、この文章を書いていても、1年前を思い出して、うっすら涙が浮かぶ。1年前の自分に教えてあげたい、「1年後の年末は大波を乗り越えて、とても安心して迎えていられるよ。」と。
次回は、屋久島での生活編について書きますね🖋✨