今回にて、2023年1年間の伊藤知子「私開放」Storyは完結です。
「初めから読みたい👀✨」という方に向けて、前回、前々回のリンクを以下にご案内しておきますね。
・Vol.1:伊藤知子の「私開放」Story〜想像もつかない冒険がしたい〜(夫の退職から屋久島引っ越し編)
・Vol.2:伊藤知子の「私開放」Story〜想像もつかない冒険がしたい〜(屋久島生活編)
今日は早速、屋久島からロサンゼルス引越し編について、書いていきます🖋
実は、屋久島からロサンゼルス引越しに際しても、なかなかのドラマがあった。屋久島の家の管理人Mさんはじめ、屋久島の素敵な方々のお陰で、屋久島とのお別れは大号泣😭だったのだけれど、屋久島からロサンゼルス出発前に夫の実家に引き上げるまで、たったの5日!という強行スケジュール。
何があったのか!?
実は、夫がロサンゼルスに行くかどうか、直前まで悩みに悩んでいおり、最終的に「行く!」と決めたのが7月10日。夫の実家に返るために屋久島を経ったのが15日。そして、ロサンゼルスへの出国は25日。悩んだ要素は、出願した時よりも10円近く円高が進行したことに加え、当初補欠で、無理だと諦めていた学校から繰り上げ合格通知が来たこと、申込んでいた家族寮の抽選結果発表が遅延し、蓋を開けたらウェイトリストの287番目で、月々の家賃も想定より$1,200以上掛かることなど、複数あった。留学するのは夫本人のため、私自身が意思決定を代わりにすることも出来ず、時間ばかり過ぎていくことに無駄に焦った。
正直、「えっ!?今更行かないって選択肢はあるの!?あんなに散々行きたいとゴネるから、「私」も付いていくと折れたのに・・・」と。「どこまで振り回せば気が済むんだ、この人にはついていけない」と、何度思ったことだろう。「今度こそ、人生詰んでしまうのではないか・・・」と出口の見えない真っ暗闇に突き落とされたような気持ちにもなった。「ただ、相手を信じて待つ」という事は、なぜこれほど難しく、もどかしいんだろう。冷房もなく、連日30度越えの一軒家の中で、気力もわかず、途方に暮れて、川で涼んでは家に戻り、また暑くなって川に涼みに行きを繰り返し、夕方になると管理人のMさんが育てているパッションフルーツを収穫するという日々が2週間ほど続いた。
5日間で奇跡的に屋久島からの引越しができたのは、内閣府の国際交流プログラム繋がりの友人が屋久島に暮らしていて、引っ越しを手伝いに来てくれるという神的な申し出とサポートのお陰でしかない!今考えても、1日ズレただけで、無事に予定通りロサンゼルスに出国できていたか定かではない。当時、心の中はかなりの冷や汗、自転車操業状態🚵♀️。
だから、日本出国前に会いたい人にろくに挨拶することも出来ず・・・何とか予約した成田発の飛行機に乗り込んだ感じ。ロサンゼルスに着いたら、お願いしていた日本人の不動産エージェントさんに連れられて、ホテル暮らしをしながら到着日翌日から連日家の内見へ。1日で8件以上見た日もあった。暮らす候補のエリアが3つ程度あり、まずエリアの土地勘、治安、雰囲気などを把握するのに2日程度かかった。そして、3日目で候補は2つまで絞ったのだが、夫と意見が割れ、今の家に決めるまで2日ほど平行線状態。LAの地価は昨年と比較してもかなり高騰したそうで、「月$500程度家賃が下がる家の方が良い!」と夫は言ってきたが、どうも「私」はその家が気にらず、「ここで毎日過ごすのは気持ちが上がらない」と最後までごねた(汗)最終的には「私」の粘り勝ちで、「確かに家にいる時間が長いのは、知子さんだから。」と折れてくれた。
今のアパートで暮らして約5ヶ月となる今、「あの時粘って本当に良かった、私よく妥協しなかった!」と自分で自分を褒めたいwアパートを決めても、審査が通るまでは油断ならず、アパートの審査が通ってから〜入居まで2.5日で全ての手続きを済ませる必要があり、どこか1つミスがあれば、また数日ホテル暮らしが延びてしまうので、常に心の糸が張りっぱなしだった。ロサンゼルス空港に着いてから、10日間で新居に入居という非常にタイトなスケジュールが可能だったのは、とても心強い不動産エージェントのお陰に他ならない。夫の大学院の授業開始までは多少スケジュール的に余裕はあったものの、10日間のホテル生活費は、1ヶ月分の家賃の3分の2程度の金額になるので、一刻も早く新居に引越し、余裕を持って生活の立ち上げをしたかったのだ。
ロサンゼルスの家賃価格は半端なく高く、屋久島の10倍以上の家賃に驚きは隠せない。大自然で人との距離がとても近い屋久島と緑はありながらも、国際都市のロサンゼルスという対極とも言える2つの場所で暮らすことになった2023年。私的には、今暮らしているロサンゼルスのエリアは、程よく緑もあり、都市生活も楽しめる丁度良いバランスの所に落ち着けたように感じていて、今は心からロサンゼルスに引っ越して良かったと思えている。
屋久島を経つ時に、大変お世話になったレンタカー会社の女性社長さん(私たちは、”ママ”と愛と敬意をもって呼んでいる。)から、「とにかく、アメリカでも、屋久島でやったのと同じように良い縁だけを自分達で手繰り寄せて、悪い縁からはとにかく距離を保って、自分達の身は自分達で守りなさいね!」と言われた言葉を胸に、1日1日過ごしてきた。
家族、不動産エージェントさん、夫の学友、テキサスに住む友人、不動産エージェントさん、そしてこちらに来てから妙なキッカケで知り合った方、ボランティアに行っている庭園のスタッフの方々など、沢山の方のお陰で今がある。とても穏やかな気持ちで、前を向いて、1年前には考えられなかった未来を生きていることに感謝の気持ちで一杯です。細かいことを挙げれば、勿論、「外国人」としてアメリカ社会で暮らすことは不便も伴うし、信頼が得られず、「何でだろう・・・」と落ち込む日もある。
だけれども、「私たち」は、夫の大学院留学後も、ロサンゼルスに残りたいと考えている。それは、アメリカンドリームと一言で言ってしまうと陳腐なのだけれど、挑戦する人を応援してくれる文化、誰にでもオープンに挑戦の機会が与えられており、必ず何事も交渉の余地はある、という空気感が好きだから。徐々にアメリカでの生活にも慣れてきた。
来年も、シリコンバレーでの合宿型、起業家育成プログラムへの参加をはじめ、この土地でしかできないこと、今できることに、貪欲に挑戦していくつもりだ。
ここまで前向きな気持ちになれたのも、燃え尽き状態から回復できたのも、間違いなく屋久島での経験のお陰さま。だから、今度は、「私」が屋久島に恩返しする番だ、と思っている。