実は、マルチポテンシャライトという生き方は、現代版の百姓と言えるのではないか?と1年ほど前から思っている。

「器用貧乏で飽き性、自分には突出した専門性や才能がないから、複業・起業は無理なのでは?」と悩む方専属のビジネスプロデューサー/マルチポテンシャライトの伊藤知子です。

さて、今日は、マルチポテンシャライトという生き方は現代版百姓では?というテーマでお届けします🖊️✨

このような考えに至ったのは、私自身が、昨年3月〜7月中旬まで、鹿児島県の離島、世界自然遺産にも登録される屋久島での暮らしがキッカケ。

私自身、2021年4月より、マルチポテンシャライトという自分自身の資質を積極的に活かした働き方、仕事をしているのですが、屋久島では、会う人会う人、マルチポテンシャライト的な働き方をしている方が殆どで驚きました。

でも、よくよく考えてみると、突出した産業や大企業があまり存在しない離島で生活していくには、いくつもの仕事を掛け持ちして、複数の収入の柱を持つというのは大変自然な考え方だとも感じました。

また、都心では競合が多過ぎて挑戦すること自体を躊躇することでも、地方で競合が居ない故に少しずつ仕事になっていく、その結果として好きなことが仕事にできるという人も一定数居るように感じます。

尚、屋久島で複数の仕事を持つ人々を、”マルチポテンシャライト的働き方”と表現するのは、本人が明確な意思を持って自ら現在の働き方を選んでいるのか、屋久島という環境で生活していくために(環境に適応した結果として現在の働き方に落ち着いているのか)複数の仕事を掛け持ちするというスタイルを選んでいるのか、しっかりと確認できていないためです。

マルチポテンシャライトという生き方と、百姓って類似しているのでは?という発想に至ったキッカケは、

お家を借りていた集落に住む方が、「まぁ、屋久島で暮らしていくにはみんな百姓みたいに、何でもやらなきゃいけないのよ。」と何気ない雑談の最中に口にしたことだったように記憶しています。

屋久島の方は、DIY精神を持ち合わせた方が多いなと感じていたのですが、「無いものは創る!」という発想でないと、フェリーは天候不良で欠航、物資が数日間、ひどい時は1週間位届かないという状況とも共存する必要性に迫られる環境なので、段々と創造性が高まっていくのかなと思いました。気になって、今回ブログを書くにあたり、改めて百姓の語源を調べてみました。(本当は紙の辞書を引きたい所ですが・・・現在ロサンゼルス在住のため手元になく、ネットの辞書で調べた結果になります。)

すると、”一般人民のこと。中国では、沢山の族姓を有する全ての人のことで、百とは、族姓の多いことを示す言葉である。”と書かれていました。また、族性という言葉についても同様に調べた所、”族姓は出雲臣族(いずものおみのやから),海部君族(あまべのきみのやから)のように末尾に族字のついた姓で,中小豪族の同族に与えられた。”との解説が出てきました。

ただ、どうも屋久島でお話したご近所の方のお話を聞くに、「百の仕事、様々な仕事をしていたから」という意味合いで、その方は百姓という言葉を使っていたように感じました。中国から日本に概念が輸入された中で意味合いも変わってきたのでしょうか。

また、先日、夫の大学のロサンゼルスでの同窓会、70周年記念パーティーに参加した際、偶然席が隣り合わせになった、アメリカ人の方から、日本文化に関する面白い考察を聞きました。

「日本文化のユニークだと思う所、西洋人から見ての魅力は何だと思いますか?」と質問してみた所、”奥行き”だとまず最初に一言返ってきました。

その方は、最近サンフランシスコで能や落語のレッスンに参加されてもいるそうです。

個人的に興味深いと思ったのは、「日本人は真似の上手な民族。ただ、何でも真似するあまり、昔からあった日本人の精神性が失われている」というような批判を聞くことがあるが、「日本人は西洋をはじめとする諸外国から雑多なものを取り入れ模倣しているが、それでも尚、日本人は独自の精神性は失わず、昔からの精神性の上に新たなものを生み出していると思う。諸外国から輸入したものと、昔から受け継がれている精神性や哲学が共存しているのが興味深い。」というアメリカ人の方の考察。

そういう見方もあるのだな、と新たな視点を教えて頂いたような気持ちになりました。もし、昨日たまたまパーティーで隣の席になった方の見方が一理あるのだとすれば、日本人と、マルチポテンシャライトという生き方は、本来とても親和性が高いはずだ、と感じました。

マルチポテンシャライトは、1つの突出した専門性は持たない代わりに、複数の分野に精通している、分野と分野を繋ぐ通訳の役割を担えるといった特性を持ち、それ故に、複数の分野を掛け合わせて新しい価値、アイディアを生み出せるイノベーターとしての役割を担える人材だと、私は考えています。

ここまで読んで頂けたら、「器用貧乏で飽き性、突出した才能や専門性がない自分も、そんなに悪くないなぁ、結構自分って可能性に溢れているんじゃないか!?」と思えてきたのではないでしょうか。

勿論、職人気質の所があり、高度経済成長期の名残で同質性・均一性が求めらがちな日本社会において、マルチポテンシャライトとして生きていくことに悩む日もありますが…

同時に、私は、「こんなに面白い生き方はない!」と胸を張ってお伝えできます💎✨

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