私にとって、「食べたい」、「創りたい」に基づく料理は最高の遊びなのですが、「やらねば」という意識がチラつく家事、料理は大の苦手😜

先日、あんバターサンドが食べたい一心で、コッペパンを焼く所からスタート🔥

焼き立てのパンの香りを嗅ぎつけた夫は、あんこの完成を待たず、「パンだけ先に食べたい」と言い始めた💦

同時に、横に来て、「晩ご飯をつくる余力は残ってるのか?」と小言を言わる始末…とほほ🤣

私は、あんこの炊き具合に夢中🔥

夫も交えて、「〜したい」と、「〜ねば、べき」のせめぎ合い真っ只中😁

「あぁ〜完成してパクリとした時の多幸感と言ったら…😍

私が思う、「私開放」の1つのプロセスとして、「〜ねば、〜べき」と自分が思い込んでいることから、1つ1つ自分を解放していくということがあると思っていて。

上記でご紹介した、「私」と夫とのやり取りの中にもあるように、「〜したい」と「〜ねば、〜べき」とのせめぎ合いは日常の暮らしの中にも点在しているな、と感じる訳です。

過去、「私」には、コーチングやカウンセリングを通して、一定期間集中して自分と向き合うと、「パッカ〜ン!」と大きな思い込みが外れて、生きづらさから解放されるものだと思っていた時期もありました。

勿論、専門家の力・サポートを借りることで、「大きなパッカ〜ン!」という気付き、開眼体験があって、イキイキとなる方も一定数いるでしょう。

だけれども、同時に、暮らしの中にある、小さな「〜べき、〜ねば」を丁寧に自分で拾い上げて、1つ1つ拾っては解放してを繰り返す、ということも、「パッカ〜ン」という大きな気付き・開眼経験と同様に大切だな、と最近は感じています。

やはり、小さなことの積み重ねの力が、大きな変化へと繋がっている。

最近読んだ、若松英輔さんの、『「生きがい」と出会うために』の後書きで、とても印象的な言葉と出逢いました。神谷恵美子さんの”静かなる革命”という言葉。その静かな革命に対する若松さんの解釈が、日常の暮らしに潜む、「〜べき、〜ねば」からの解放に通ずる所があるな、と感じた次第です。

これまでは、変化とは痛みを伴うものだと思い込んでいましたが(汗)、”静かな革命”という言葉でも語られているように、痛みの伴わない、地味だけれど力強い変化もあるのだなぁと。