「私開放」に対する、あなたのイメージは?

「私開放」と聞くと、あなたの頭の中ではどんなイメージが浮かびますか。
今、何か、ご自身が解放されたいモノ・コトはありますか?

今日は、改めて、“私開放ナビゲーター”として活動している、私、伊藤知子(いとうともこ)が考える、「私開放」について、お伝えします。

と言うのも、現在、屋久島でのリトリートを企画する中で、私自身が、「私開放」というテーマに日々向き合い、自分の中で、「私開放」に対する考え方がアップデートされていく感覚があるのです。

なぜ、「私解放」ではなく、「私開放」なのか?

私が考える、「私開放」には、2つの段階があります。

1段階目は、「私解放」で、自分が囚われている、縛られているモノ・コトから解き放たれる。

自分が囚われている、縛られているモノ・コトとは、他人の価値観や評価、自分自身の思い込み、コンプレックス、社会的立場や役割、情報、外からの刺激など。

囚われているモノ、縛られているモノは、人それぞれ違います。
「私開放」第一段階のゴールは、お腹の底から、「私は、私が良いのだ!」と、まっさらな自分になって、自分で自分を認めること。

そして、2段階目は、自分を開いて放ち、自分という資源を最大限活かして生きている状態。

そのためには、自分を知り、受け入れる。更に、自分の強みや感性・感覚を活かして、積極的に自分を表現できること。

「私開放ナビゲーター」としての想い」

私が、「私開放ナビゲーター」として活動を始めた頃に出逢い、心をぐっと掴まれたのが、オードリー・タンさんのポジティブ・フリーダムという考え方です。

「ポジティブ・フリーダム」とは、
“自分だけでなく、他の人も解放し、自由にしてあげること”
“自分の可能性を力に変え、その力を誰かのために役立てること”

「私開放」されたあなたが、自分の可能性を社会に対して開け放ち、あなたの先に居る誰かを解放するという「私開放」の連鎖を一緒に起こしていきたい、という想いで日々活動しています。

この活動を始めた原点は、私が高校・大学生の頃に感じた、「生きづらさ」にあります。

「みんなと一緒」であることが正解、「同じであることが良いこと」、といった同調圧力、「個性を表現すること」にどこか後ろめたさを感じる空気。
(今は少しずつそういった価値観や空気も変わりつつありますが…)

高校のクラスメイトから、
「あなたは、天然記念物だからそのままで居てね」という年賀状が届く。

大学に入学すると、学科の友人から、
「初めて会う人種!」と驚かれる。

自分で居ると、“変わり者”と言われているように当時は感じて、悩みました。(友人たちに、「どういった意味でそのような言葉をかけたか」聞く勇気もなかったので、真意は分からないのですが。)

自分の経験から、
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日本で、もっと多様な価値観、生き方を受け入れ合える社会になったら、そんな世の中を創っていきたい
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という想いで、「私開放ナビゲーター」として、ワークショップやグループ講座、リトリートなどの活動をしています。

・真面目で努力家、頑張り屋
・ついつい自分よりも「他の人」を優先してしまう
・他の人の目や評価が気になり、引っ張られる
・今の自分でも80%位は満足。だけど何か物足りなさや違和感を感じる

上記のように感じられている方が、

・「自分で生きること」を心の底から愉しめる
・「自分の人生は、自分で創れる」と心から思える
・自分の感覚、感性、創造性を思いっきり発揮して生きている
・「ちゃんとしなきゃ!!」より、「ワクワク」する自分を選べるようになる

といった未来をつくることを全力で応援します!

次回は、私自身が「私開放」された経験について、お届けする予定です。